命の終わり方

いつか必ず訪れる永別は突然来るものだよ

積極的な治療

救急隊員がおばあちゃんの状況を確認する。
気付いたときの状況や昨晩の様子、食事や水分摂取のことを次々と早口に質問された。
前日にはいつものようにお出かけしていたこと。
帰宅後にすぐ昼寝を始めたこと。
夕方になってから発熱していたこと。
食欲が少なかったこと。
21時頃着替えをして就寝したこと。
出来る限り細かく説明した。

おばあちゃんの様子を説明している間にも救急隊員の処置は続いていた。
見慣れない機器を操作する救急隊員。
その機械の色や形、大きさ、操作する救急隊員の様子、おばあちゃんを見守る家族。
断片的にしか覚えていない。
だが次の場面は強烈に私の脳裏に焼き付いている。
おばあちゃんの処置をしていた救急隊員が声を上げる。
「おばあちゃんを呼んで!」
嫁の声が響いた。
「おばあちゃん!おばあちゃん!!」
嫁の声に対するおばあちゃんの反応は著しく弱いが、それでも呼びかければ僅かに瞼を開く。
今どきどんなに安っぽいドラマでも見られないようなシーンが目の前にあった。

「積極的な治療を望みますか?」
救急隊の対応の最中に最年長と思われる隊員から投げられた問いだった。
私はその質問の意味がすぐには理解できなかった。
そもそも積極的な治療とは何か?
積極的な治療を望まなかったらどうなるのか?
救急隊の中で最も経験を積んでいると思われる年長者の隊員がゆっくりと言葉を選びながら説明をする。

「医療的な判断は医師がするのですが」
と前置きをして続ける。
「例えば点滴などをするだけで静かに見守るという選択もある」

え!?
それは、ついさっきまで一緒にテレビのバラエティー番組を見てゲラゲラ笑っていたおばあちゃんが、まるでもう死ぬことが決まっているかのような言葉だった。
確かに今、目の前に横たわるおばあちゃんは生きる力が尽きかけていて、今にも消えてしまいそうに見える。
だが、ほんの数時間前までは和菓子を食いながら嫁とけんかをするほど元気にしていたのだ。
そのおばあちゃんがもう何分かで死ぬと言われている。
状況が全く理解できなかった。

「そんなに悪いのですか?もうここには戻って来られないということですか?」
私の質問に救急隊員は重苦しい表情を見せるだけだった。

いつかはこういう日が来ることは分かっていた。
でもそれは今日ではない。
さっきまで元気にしていたおばあちゃんが翌朝には居なくなる。
そんなに突然に永別の覚悟を決めることなんてできるわけがなかった。
私は救急隊員にはっきりと答えた。
「積極的な治療を望みます!」

積極的な治療を望むか否か?
同じ質問を病院でもされることになる。
この質問の本当の意味を知るのは病院で医師からの説明を受ける時だった。