命の終わり方

いつか必ず訪れる永別は突然来るものだよ

意向確認

嫁の兄が病院に到着した。
おばあちゃんは彼と嫁の実母。
普段は他県に長期出張中の義兄がこの日はたまたま帰京していた。
嫁からの連絡を受けて、日曜日の早朝に病院に駆け付けたのだ。

嫁が義兄に対して一通りの説明をする。
久しぶりに再会する兄妹が互いの実母の今後について話していた。
お寺やお墓の話、葬儀の段取りなど、えげつない話のオンパレードだ。
おばあちゃんは盆暮れ正月にはこの義兄と二人でお墓参りをしていた。
もうずいぶん前に他界したおじいちゃん(おばあちゃんの夫)のお墓参りだ。
お世話になっているお寺もある。

嫁はおばあちゃんが亡くなったときの段取りは義兄に任せているつもりだったらしい。
いわゆる「意向の確認」というやつで、主に下記のようなことを本人の存命中に取り決めておく手続きだ。

  • 訃報を知らせる人(知らせない人)
  • 葬儀に対する本人の希望
  • 遺品・形見分け
  • 財産・相続

しかし義兄は何も準備をしていなかった。
嫁の期待とは裏腹に義兄は無為だったわけだ。

私としては「ま、そりゃそうだろうな。」という感想だった。
義兄がだらしないというより、そんなもんだよ。普通は。
義兄の頼りなさと今朝からのドタバタに、一段とヒステリックになっている嫁が怖い。。。。

高齢者の「もしも」は突然来る。
預貯金の管理、生命保険の受け取り、仏壇の世話はどうするのか、そして何よりおばあちゃん本人はどんな最期を望んでいるのか?
考えたくはないが、不幸にも亡くなってしまったときの段取りは、おばあちゃん本人が元気なうちに準備して置かなければならないのだ。

病院の控室に来てから既に2時間は経っていたが未だに病院側からの説明は無かった。
嫁と義兄の話し合いに自分が口を挟むのも憚られるし、居場所を失くした私は病院を出て付近の散策を始めた。
大きな駅の近くにあるその病院の敷地を出ると、休日の早朝を満喫する人々が大勢いた。
病院近くの繁華街を1時間ほど散策したころ、医師からの説明があるという連絡が嫁から入った。

意思表示

幅の広い廊下だった。
築年数は浅いはずのその病院だが、壁の傷や黒ずんだシミ、欠けてしまった手すりなど傷んだ部分ばかりが目に入った。

必要最小限の物質だけで構成されたその場所にはポスターや張り紙すらも無く、人がいる痕跡を感じられない空間だった。
無機質な薄暗い空間に一人でいると、言いようのない不安感に包まれる。
「嫌な場所だな」という感情と微かな恐れを覚えるような不快な場所だ。

「ご家族控室」という案内が掲げられた部屋に入ると嫁が一人で座っていた。
大きな病院の大きなICUにある控室でたった一人で座っているのもさぞかし不安だったろう。

嫁の話ではおばあちゃんはストレッチャーに乗せられたままどこかの検査室に入ったままらしい。
医師に対する説明は嫁が既に終わらせていた。
おばあちゃんの様子を細かく聞く医師からの質問は、救急隊からの質問と重なる部分が多く答えに窮することなかった。
ただ、感染症の疑いが見られるという話があり、その件について思い当たることは無いか、だいぶ聞きこまれたらしい。

ここからとても長い時間控室で待たされることになる。
救急車内や検査室に入っていくときのおばあちゃんの様子を嫁に聞くと、結局意識は朦朧としたままで呼びかけに対する反応も弱かったということだった。

控室といってもそこはホールのような場所を簡易パーティションで区切っただけの空間で、廊下を行き交う医師や看護師の様子が丸見えの状態だった。
処置室の中にはベッドのような「台」がたくさん並んでいるのが見える。
それはベッドではなく、台と表現するのがぴったりのものだった。

幸い患者は誰もいなかった。
もし重症患者などが搬送されれば、このICUに運ばれてくるはずだ。
他人とは言え瀕死の患者が運ばれてくる、そんな光景は見たくなかった。
私は早くその場を離れたいとばかり考えていた。

嫁は親戚への連絡に忙しそうだった。
親戚といっても大勢いるわけでもなく、ほんの数人だ。
普段疎遠な親類から日曜の早朝に電話が入れば、それはあまりいい知らせではないだろうことは想像にたやすい。
嫁の叔母、この人はおばあちゃんの妹に当たるが、に連絡をしたときの反応が凄い。
叔母は開口一番こう言い放ったそうだ。

「だぁーいじょうぶよー。大したことないから安心しなさい。」
「ちょっと熱中症の酷いやつでしょ。」
「あの人は冷房が嫌いだから、体に熱が籠っちゃったんでしょう。」

嫁が口を挟む間もなく速射砲のように言葉を発している。
年寄りは年寄りの体のことを良く知っているからなのか、簡単にはくたばらないという前提で話が進む。
人生の修羅場をくぐり抜けてきた老兵の勇ましさを目の当たりにして些か尻込みした。

一通りの会話が終わった後、叔母が今までのハイテンションな口ぶりを一変させて言った。
「延命措置は断ってね。静かに逝かせてあげて。」
低いトーンでゆっくりと語られたその言葉には、決して反論は許さないという迫力が満ちていた。

電話を切った後、嫁が涙を拭きながら話し始めた。
それはおばあちゃんが密かに書き溜めている秘密のノートを覗いた時の話だった。
そこには今まで長く生きてこられたことへの感謝と、もしもの時には決して延命治療はしないで欲しいという意思表示が書かれていたそうだ。
叔母の話とおばあちゃんのノートの記述がぴたりと符合する。
恐らく年老いた姉妹はお互いの最期を話し合って既に決めていたのだろう。

延命治療は望まない。
それは治療を止めるということを家族が医師に伝えるということだ。
辛い役回りだ。
年寄りと生活をしていながら、実際には何も覚悟が出来ていなかったことを痛感した。

ICU 集中治療室

病院に向かう救急車を自宅の玄関前で見送る。
暫くすると、救急車に同乗している嫁からスマホにメッセージが届いた。
そこには搬送中のおばあちゃんの様子が報告されている。
それから家の戸締り、洗濯物のこと、作りかけの朝食のことなども細かく指示されていた。
こんな時は女の方がしっかりしているのか、主婦の強さなのか、緊急時とは思えない冷静な対応ぶりに感心した。
嫁に指示された当座の必要品をバッグに詰め込んで、救急車を追いかける形で病院に向かう。

家には子供だけが残されて留守番になるが子供といっても年齢的にはもう大人だ。
子どもは楽しみにしていた休日の予定をキャンセルしながら、
「家のことは大丈夫だから」
と気丈に振舞っていた。

私は車で救急病院に向かう。
休日早朝の道は空いていたが、つとめて安全運転に徹した。

病院に着くと救急搬送用の出入り口には先ほどの救急隊が既に到着していて、何やら報告書のような書き物をしていた。
救急隊も私に気付き「お大事にしてください」と声をかけてくれる。
こんな時は何て返事をすればいいのだろう。
「お心遣い痛み入ります。先ほどはありがとうございました。皆さまのおかげで大変助かりました。皆さまもどうかお気をつけて。」
こんな言葉が浮かんできたが結局声に出せないまま、軽く会釈をしただけで病院内に入った。
本当はもっとしっかりとお礼を伝えたかった。

そこは大きな病院だった。
右も左もわからず困惑していると、無人だった受け付け窓口に職員の姿が見えた。
事情を説明するとICU(集中治療室)までの道順を教えてくれた。
ICUに繋がる廊下の床には赤いテープが貼られていて、家族・関係者が迷わないように配慮されていた。
「ここより関係者以外立ち入り禁止」
そう書かれた扉を開くとそこはICU(集中治療室)だった。

搬送

意識が混濁しているおばあちゃんを2階の寝室から救急車まで運び出すことになる。
階段で降りるしかないが、ストレッチャーなどを運び込めるような幅もなくどうやって救急車まで運び出すのか不安だった。

そんな時に救急隊員がおばあちゃんの使っていたタオルケットを拝借したいと言ってきた。
何に使うのか全く想像できなかったのだが了承すると、そのタオルケットにおばあちゃんを包んで階段を降りたのだ。
まるでベビースリングに包まれるようにしておばあちゃんは階下に運ばれた。
おばあちゃんの状態などを確認した上で選んだ方法だろうが、上手に運ぶものだと感心させられた。

救急車のストレッチャーに移された後、付き添う嫁の準備を急いでする。
財布や携帯電話など当座の必要品を揃えるのに精一杯で、身支度なんて殆どできない。
髪の毛を整えるなんてことは出来ないし、そんなことが気になるほどの余裕もなかった。
ノーメイクで髪の毛を逆立てた嫁の姿はドリフターズのコントに出せばバカ受けするに違いないそんな風貌だったが、状況が状況だけに敢えて指摘はしなかった。

救急隊が到着して患者を救急車に乗せた後もなかなか出発しないことが良くある。
救急隊は要救助者を受け入れてくれる病院を現場で探す。
それは受け入れ先病院との交渉のようなそんな感じなのだ。
受け入れてくれる病院が無いことには救急車も出発できない。
そのことは知っていた。
だから救急隊が来てくれたからと言って安心してはいなかった。

どこか受け入れてくれる病院は見つかるだろうか?
悪いことに今日は日曜日だ。しかも早朝。
この日時に90歳近い年寄りを受け入れてくれる酔狂な病院なんて簡単には見つからないだろうと想像していた。

ところが受け入れ病院はすぐに見つかった。
しかも有名な病院だった。
この付近では恐らく一番大きな救命救急施設のある病院だ。
運がいいと思った。
もしかしたら助かるかもしれない。
この日の朝、始めて感じることが出来た僅かな希望だった。

積極的な治療

救急隊員がおばあちゃんの状況を確認する。
気付いたときの状況や昨晩の様子、食事や水分摂取のことを次々と早口に質問された。
前日にはいつものようにお出かけしていたこと。
帰宅後にすぐ昼寝を始めたこと。
夕方になってから発熱していたこと。
食欲が少なかったこと。
21時頃着替えをして就寝したこと。
出来る限り細かく説明した。

おばあちゃんの様子を説明している間にも救急隊員の処置は続いていた。
見慣れない機器を操作する救急隊員。
その機械の色や形、大きさ、操作する救急隊員の様子、おばあちゃんを見守る家族。
断片的にしか覚えていない。
だが次の場面は強烈に私の脳裏に焼き付いている。
おばあちゃんの処置をしていた救急隊員が声を上げる。
「おばあちゃんを呼んで!」
嫁の声が響いた。
「おばあちゃん!おばあちゃん!!」
嫁の声に対するおばあちゃんの反応は著しく弱いが、それでも呼びかければ僅かに瞼を開く。
今どきどんなに安っぽいドラマでも見られないようなシーンが目の前にあった。

「積極的な治療を望みますか?」
救急隊の対応の最中に最年長と思われる隊員から投げられた問いだった。
私はその質問の意味がすぐには理解できなかった。
そもそも積極的な治療とは何か?
積極的な治療を望まなかったらどうなるのか?
救急隊の中で最も経験を積んでいると思われる年長者の隊員がゆっくりと言葉を選びながら説明をする。

「医療的な判断は医師がするのですが」
と前置きをして続ける。
「例えば点滴などをするだけで静かに見守るという選択もある」

え!?
それは、ついさっきまで一緒にテレビのバラエティー番組を見てゲラゲラ笑っていたおばあちゃんが、まるでもう死ぬことが決まっているかのような言葉だった。
確かに今、目の前に横たわるおばあちゃんは生きる力が尽きかけていて、今にも消えてしまいそうに見える。
だが、ほんの数時間前までは和菓子を食いながら嫁とけんかをするほど元気にしていたのだ。
そのおばあちゃんがもう何分かで死ぬと言われている。
状況が全く理解できなかった。

「そんなに悪いのですか?もうここには戻って来られないということですか?」
私の質問に救急隊員は重苦しい表情を見せるだけだった。

いつかはこういう日が来ることは分かっていた。
でもそれは今日ではない。
さっきまで元気にしていたおばあちゃんが翌朝には居なくなる。
そんなに突然に永別の覚悟を決めることなんてできるわけがなかった。
私は救急隊員にはっきりと答えた。
「積極的な治療を望みます!」

積極的な治療を望むか否か?
同じ質問を病院でもされることになる。
この質問の本当の意味を知るのは病院で医師からの説明を受ける時だった。

救急隊

救急隊が到着する。
子どもの絵本などに登場する救急車は身近に感じる乗り物だが、近くで見る実物はとても大きい車両だ。
家族が緊急の時に見るその大きな車体に、些か威圧感を覚えた。
この大きさでは細い路地に入り込むのは難しいだろうことはすぐに想像できた。
家の前まで入れるだろうかと心配になったがそれは杞憂だった。
大きな救急車はサイレンを鳴らさずに細い路地にスルリと入り込んできた。

驚いたことに救急隊は救急車1台ではなく、消防車も随伴していた。
さらに驚いたことに、救急隊員は全部で7人も来てくれたのだ。
7人とも体躯の大きな男たちだった。
一人の年寄りを搬送するのに7人もの屈強な男たちが集まってくれたのだ。
もし救急隊が来なければ自分一人でおばあちゃんを背負って2階から連れ出さなければならないと心のどこかで覚悟していた自分にとって、彼らの剛健な風貌はとても心強く感じれらた。
孤立無援の状況に強力な援軍を得たような頼もしさだった。

現場に到着してからの彼らの作業は迅速だった。
7人もの男たちがそれぞれの役割を理解し、一分の隙も無く働く。
玄関から家に入った救急隊員の靴を見て驚いた。
彼らの靴は全てが綺麗に並べられていた。
随分とくたびれた彼らの靴は日ごろの業務の厳しさを物語っていた。
靴の中敷きに隊員の名前が貼られているのは靴を履くときに自分の靴がすぐにわかるようにする工夫だろう。

私は救急隊が少しでも動きやすいようにと、玄関に無造作に放り投げられている子どもの運動用具や雑貨などを端に追いやった。
家人の靴も下駄箱に放り込み、救急隊の靴を近くに引き寄せる。
緊急事態の実際の現場で素人に出来ることなんて、こんな程度が精いっぱいなのだ。
とても非力だ。

119番

ベッドに寝ているおばあちゃんをそのままに、すぐに救急車を呼ぶ。
119番
幸いこの電話番号はすぐに思い浮かんだ。
しかし自分の家の住所が出てこない。
緊急事態を目の当たりにすると人はこんなにも慌ててしまうのか。
ここは一旦落ち着こう。
自分に言い聞かせる。

電話の向こうで救急隊員が静かに語りかけてくる。
それはとても静かな声だった。
救急ですか?
住所はどちらですか?
症状を言えますか?
たぶんこんな内容だった。

緊急電話を切った後暫くして救急隊から折り返しの着信があった。
しかしその着信に気付くのが遅れてしまった。
119番は家の固定電話から発信したのだが、今は家の固定回線は殆ど使っていない。
電話と言えばスマートフォンで用を足している。
だから固定電話の着信音を小さくしていたのだ。
その着信に気付いたのは偶然だった。
着信を知らせる電話器の照明にたまたま気付いたのだ。

固定電話に掛かってきた見慣れない電話番号からの着信は救急隊からのものだった。
場所を確認したいという。
ウチは少々奥まった分かりづらい場所にある。
しかも近くの住所に同じ苗字の家があり、わかりづらさに拍車をかけていた。
受話器の向こう側で救急隊が説明する場所はウチではなかった。
救急隊から家の近くの見えやすい場所に出ていてくれと要望される。
休日の早朝、着の身着のままの服装で私は通りに出て救急車の到着を待つことになった。

救急車を待っている時間はとても長く感じた。
しかし、後から家の者に聞くと救急車の到着はびっくりするほど早かったそうだ。
冷静に考えれば早いはずだ。
その救急隊を派遣した消防署はウチから徒歩で5分ほどの距離なのだ。
それでも救急車の到着までの時間は長く感じた。